1989年、平成最初の夏。千葉を制したのはそれまで何度も聖地をあと一歩で逃し続けてきた成東だった。「やっとOBの悲願が達成できた」。当時主将の行木泰弘は29年前を振り返る。幾多の涙を流した先輩の思いを受け継ぎ、後にヤクルトへ進むエース押尾健一を擁して成田、銚子商、習志野、拓大紅陵などライバルを次々と撃破。“悲運の成東”の歴史にピリオドを打った。(敬称略)
私は双子の弟で、兄はずっと投手。私は外野手だった。兄は東京の関東一に入って、私は「地元に残って野球をしよう」と成東に進んだ。昔、成東は強い時期があったが、少し低迷期があった。まだ一度も甲子園に行ってない中で「成東で甲子園に行きたい」と思った。
(成東はあと一歩のところで甲子園を逃し続けて「悲運の成東」と呼ばれていた)自分たちは前年(88年)の夏ベスト4、その秋に8強、(89年)春は4強だった。地域やOBの方々の期待が大きくなっていくのは感じていた。ただ、選手としては「悲運」...
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